…と、図では比較的に簡単なように思えるが、では実際の現場はどうなのか。四つ橋線と中央線の本町駅へ実際に行ってみる。
まずは四つ橋線の本町駅。1965年10月1日の大国町-西梅田延伸の際に開業した。当初は「本町」ではなく、「信濃橋」という駅名であった。
駅は相対式、柱がずらーっと並ぶ大阪市営地下鉄の典型的な相対式ホームの形である。
近年天井がリニューアルされたのか、白い綺麗な天井が写る。
▲写真1 四つ橋線の本町駅
一方、中央線の本町駅は1964年に仮駅舎が開業するものの、用地買収の遅れから本駅開業にいたるのは、四つ橋線信濃橋駅開業から、
遅れること4年の1969年のことである。これと同時に御堂筋線と中央線、四つ橋線が改札内でつながる今の構造になる。
これと同時に連絡する四つ橋線も現在の「本町」へ改称された。
と、中央線と四つ橋線の本町駅はほんの4年ほどの差の開業であり、もしかすると連絡線設置の構想がもたれていたのかも、と伺えるのではないか。
なぜなら、昔から大阪市営は将来を見越した工事に長けており、御堂筋線も1両運行の時代から17m車・8両対応のホームが建設されていたり、
実際にそれが現在の御堂筋線にとって大きな財産になっているところからも有用性は十分に認められる。
左:写真2 四つ橋線本町駅から南側を見る。 右:写真2の位置を地図上で表した。
では、実際連絡線を設ける地下部分を見ていこう。まず、四つ橋線。
本町駅を南側、四ツ橋方向へカメラを向けてみる。
過去に渡り線が設けられていたのか、はたまたその準備工事にとどめてあるのかはわからないが、
黄色の柵を外せば簡単にポイントが設けられそうだ。前ページのマップで見ると黄色の点からカメラを矢印の方向へ向けている。
四つ橋線本町の方は千日前線阿波座の前例とほぼ同じようなホーム・線路構造となっており、渡り線設置も特に問題なく行われそうだ。
それでは数々の路線の車両が入る中央線の方はどうなのだろうか。
左:写真3 中央線本町駅2番線側ホームから見た様子。対向する線路が手前側に向かって大きく広がっている。
右:写真3の位置
次に中央線。本町駅西側、阿波座方面へカメラを向ける。
こちらも、もともと終着駅として使われていた名残か、渡り線を設置できるスペースはあるようだ。
中央線の方も、比較的なんなく工事は済みそうである。
このように、大幅な工事は隧道掘削だけに思える。
が、ここで問題が出てくる。
交通局はこの連絡線を「開削工法」、すなわち地上から穴を掘ってこの連絡線を設けると表明している。
だが、所在地は大阪のビジネス街を一気に引き受ける本町。地下から横に穴を掘るシールド工法ならまだしも、
地上には中央大通・四ツ橋筋がクロスするここにどこから掘削を始めるのかが気になるところである。
今回は時間の関係上現地の写真を撮ることは出来なかったが、Googleマップからその地点を読み取ってみる。
灰色で示したところが今回の短絡線になると予想されるところ。
やや東側に迂回して阪神高速の下に…という案も考えられるが、果たしてどうなるのであろうか。
また、完成した際には現在の千日前線の回送列車にように、定期的に列車が走るようになるのか、
それとも谷町線のように必要時だけ通る事になるのか、これからの変化が楽しみだ。